バレット(・)があったほうが文章が書ける

  • なぜ自分は、文章を書こうとしているのだろう
  • 昇格試験で小論文が課されているから、
  • 文章を書ける人になりたい、という気持ちがあるから
  • なんか、文章が書けたほうが良い気がするから
  • でも、とりわけ自分を表現したいという欲求が強いわけではない気がする
  • もともと、自分は恥ずかしがり屋で、引っ込み思案だから
  • でも、それでちょっと困ってしまう事もよくある
  • たとえば今回みたいな課題で長い文章を書かないといけない時
  • あとメールの返事もものすごく時間がかかる時がある
  • 文章をもっとサクっと書けるようになりたい
  • でも、文章と言っても、色々あるよな
  • たとえば小論文とか、メールとか
  • それって全然違うような気がするけど
  • でも、根本では同じなような気もする
  • だって、自分は小論文も、メールも、どっちも苦手だから
  • 要するに、色々なことを考えすぎて、文章に書くことができなくなる時がある
  • それをどうにかしたい、というのはある。
  • つたない文章でもいいから、とりあえず書いてみる
  • だって書かないとわからないからね
  • あと、この前、出産祝いに入れるおめでとうカードを書くときにも、とても苦労したなぁ
  • ただ、おめでとう、うれしい、という気持ちを言葉に表現することができない
  • そもそも、そういう気持ちをあまり言葉で表現したことがない
  • だから、どういうふうに書けば良いのかわからない
  • でも、誰だって慣れていないような気もする
  • まぁ、とりあえずこんな駄文ではあるけど、とりあえず700文字くらいは書けている。
  • そうか、こういう感じでとりあえず800字くらいを埋めることはできるのか。
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  •  
  • この、アウトライナーのバレットはやっぱり自分には合ってる気がする
  • これがあると、書こうという気がしてくる
  • なんでだろうなぁ、この気持ち
  • バレットがあったほうが書こうという気がしてくるから、面白い
  • バレットが無かったら、なんか終わった感が出てくる
  • 本当は終わってなんかいないはずだけど
  • 改行することで次のバレットが出てくると、「で、次は?」と聞かれているような気がする
  • これはとりあえず文章を書かないと行けない状況では強力なサポートとなる。
  • そうこうしている間に、もう1000字もダラダラと書いてしまった
  • これでも別にいいじゃん、とりあえず今日も1000字くらいの文章が自分は書けたのだ
  • 以前の自分からすると、それだけでも大進歩だ

タスクシュート時間術を初めてから1年ちょっと経った

  • タスクシュートという時間術を実践し始めて1年ちょっと経った。

 

  • 実際には少しやってなかった時期もあったが、それでもよく1年も続いているなと自分でも驚く。
  • なんせ、24時間つねに行動記録を取り続けるのだから。
  • こんな面倒なことは無いと最初は思ったものだ。
  • でも、なぜか1年くらい続けることができた。

 

  • 実際には、記録を取り忘れることは今でも頻繁にある。
  • それでも諦めず、やり続けている。
  • なぜだろう。
  • なぜこのタスクシュート時間術というのを諦めずにやってるんだろう。

 

  • 。。。

 

  • たぶん、今まで見てきた時間術の中で、最も合理的だと思ったからだ。
  • 理論上は完璧な時間術であるため、自分がどれだけその時間術が実践できなくても、他に実践できている人がいれば「自分でもできるはず」と信じたいからだろう。
  • 昨日もできなかった。今日もできなかった。
  • それでも、できるはず。そう信じているのだ。

 

  • それぐらい、自分は時間管理について本気で悩んでいるのだ。

体調が悪いのも悪くないのかも

コロナのワクチン接種の2回目が終わった。

 

当日は特に何とも無かったが、夜中に寒気がし始め、朝になると37.9℃の発熱があった。

次の日は、食事をする以外はほとんど布団の中で過ごしていた。

平熱が低いので、37℃台でもかなりしんどい。

食事は妻が雑炊とうどんを作ってくれた。本当にありがとう。

 

いつもは、できるだけ細かく行動の記録(ライフログ)をつけている自分。

でも、この日の記録はほとんど無い。

 

「本当は、こういう日こそ記録をつけておいたほうが良いのだろうなぁ」と何度も思った。

でも「記録をつけよう」という気持ちが湧かなかった。

 

まぁ、自分の中の「記録をつけたい」という気持ちも、その程度なのだな。

結局は、体力的に余裕のある時しかやらないことなのだ。

 

でも、そんな体調が最悪な時でもやったことがある。

それは具体的に言うほどでもない細々としたことだ。

でもそれらを思い返してみると、なんとなく「あぁ、それをやるのが自分なのだな」という気がしてきた。

 

体調が最悪なときに自分は何をするのか

お金が全くないときに自分は何をするのか

残された時間がほとんど無いときに自分は何をするのか

 

そういう時に、自分がわかるような気がする。

 

体調最悪だったけど、自分について勉強になった。

DaiGoとクイズノック。知識のひけらかし方の違い。

  • メンタリストDaiGoが優生思想や差別発言で炎上している。

 

  • もともと、本などで得た知識をひけらかしているような感じがして、あまり好きなタイプの人間ではなかった。

 

  • でも一方で、自分には「知識ひけらかし系」で好感を持っている人たちもいる。
  • その代表格が「クイズノック」。
  • クイズノックのYouTubeが面白くて、最近よく見ている。
  • その恐ろしい勉強量に、軽いリスペクトすら感じ始めている。

 

  • DaiGoとクイズノックとの違いは何なのだろう。
  • もしかすると、知識をひけらかしているのは、クイズノックとかの方かもしれない。
  • でも、なぜかDaiGoの方が、好きになれない。
  • なぜだろう・・・?

 

  • ・・・

 

  • もしかすると、DaiGoが「1人でやっている」という所がポイントなのかもしれない。

 

  • クイズノックは、たしかに知識をひけらかしているが、それでお互いにバトルをすることで、負けを味わったりしている。
  • クイズというフェアなゲームを通じて、お互いに得意分野や苦手分野があることが見えてきて、そこには人間味がある。
  • この人達はクイズというスポーツをしているアスリートなのだ、ということも分かってくる。
  • 知識を持っている者同士で、リスペクトし合っている雰囲気を自分は(勝手に)感じている。

 

  • 一方で、DaiGo。
  • DaiGoの知識のひけらかしには、誰もツッコミを入れたりすることがない。
  • というか、自分はあまりDaiGoが誰かと対等に(素直に)話しをしている所を見たことがない。
  • スキを見せたDaiGoを見たことがない。
  • もし、DaiGo的な人がもう1人いて、お互いにツッコミを入れながらやるスタイルだったりしたら、好感を持っていたかもしれない。

 

  • 要は、「知識でマウントを取って、誰にも反撃を許さない」という鉄壁ガードが、自分がDaiGoに好感をどうしても抱けない理由なのではないか、と思えてきたのだ。

 

10年後の未来を想像することに意味はあるのか?


これは、目標を立てることに意味はあるのか?と言い換えてもいい。


まず、10年後の未来を正確に予想することは不可能であるという事実がある。
1分後ならある程度できるようにも思えるが、よく考えてみると、やはり無理なことがわかる。陸上選手は、これから始まるレースで自分が優勝できるか予想できるはずがない。


次に、こういう客観的な事実ではなく、「未来は予想できる」と信じることに意味はあるのか?について考えてみよう。

「未来は予想できる」と信じると、何が起きるだろう?


10年後を思い描くと、今を疎かにしてしまう。10年後からすると、今は未熟な存在だ。
そういうネガティブではなく、ポジティブに未来を考えることは可能か?

2021/07/17

  • 思い立って、ブログを書いてみようと思った
  • 自分のノートに書けばいいのかもしれない
  • でも、とりあえずブログとして書いてみようと思った

 

  • なぜブログを書こうと思ったのだろう
  • ノートではダメだったのだろうか?
  • 自分の中で、ノートに書くというのは、外に出すのは恥ずかしいから、ノートに書く、という気持ちがあるような気がしている
  • 自分の中の恥ずかしさを捨てたいと思ったから、ブログに出してみようと思った

 

  • この「恥ずかしい」という気持ちは捨てるべき気持ちなのだろうか?
  • そう思うのは、おそらく自分の中で恥ずかしさが自分を苦しめていることが多いと思っているからだろう
  • 自分は色々なことが恥ずかしい
  • 自分の気持ちが知られることが恥ずかしい

 

  • 恥ずかしいって何だろう
  • 他人の目を気にしすぎているっていうこと?

 

  • 他人の目が気になるとは何だろう
  • 気になる、というと、どこかダメなニュアンスが出てくる
  • 気になる以外の言い方だと何だろう
  • 他人の目を意識する?
  • 意識するも、どこかネガティブな感じがする

 

  • そもそも、相手のことを考えても、相手がどのように思っているかは分からない
  • 分からないけど、他人がどう思っているか想像する
  • 相手がどう思っているか、という想像が、自分にとってポジティブなのか、ネガティブなのか
  • ポジティブな場合、たとえば誰かにプレゼントをして「これはきっと気に入っているだろう」と思っているとき、その瞬間は別に嫌な気持ちはしていない
  • というか、このときは相手の気持ちが分かっているような気がしている
  • 一方で「これは気に入ってくれるのだろうか・・・?」という気持ちは、とても不安になる

 

  • 「不安になる」
  • 恥ずかしいというのは、不安がベースにあるのか?
  • 相手がどのように思うか、分からないことに対する不安
  • これか?
  • たとえば、自分が好きなミュージシャンのライブに行ったとする
  • そのとき、知り合いがたまたまそこにいたとする
  • そのとき、たぶん自分は恥ずかしいと思う
  • なぜか?
  • やばい、あの人がいる
  • あの人、自分がここにいることをどう思っているんだろう
  • ○○が好きなんだなぁって思われたかな
  • あー、恥ずかしい!
  • こんな感じかな

 

  • これって詳しく言うと、どういう気持ちだろう
  • 本当の自分を知られてしまった、という気持ち
  • これか、これが恥ずかしいという気持ちか
  • つまり「本当の自分を知られたくない、でも知られてしまった、その時の気持ち」
  • これが恥ずかしさの正体か
  • じゃあ、なぜ自分は、本当の自分を知られたくないんだろう
  • 本当の自分のことを知ってもらったほうが、色々といいことがあるような気がするのに
  • 自分は色々な手を尽くして、自分のことを知られないように壁を作っている
  • なぜか?

 

  • 他のケースも考えてみよう
  • 過去にある失敗をした
  • そのことを、あるときふと思い出した
  • あー、恥ずかしい!
  • この気持ちはなんだろう
  • 自分の失敗が、自分の頭の中で鮮明に思い出された
  • 自分の不完全さが強烈に思い出された
  • そのときに、恥ずかしいと思う
  • なぜか?

 

  • 要するに、自分のダメなところは表に出てほしくない
  • 表に出ないように、あらゆる壁をつくっている
  • その壁が崩れて、誰かにしられたり、自分が思い出したときに、恥ずかしいと思う
  • 根本には、自分のだめなところは表に出てはいけない、人に知られてはいけない、と思っているようだ

 

  • 人から自分は立派な人間だと思われたい
  • この気持ちは、どうなんだろう
  • でも自分は人間なのだから、ダメなところも色々ある
  • そこは、どんなに頑張っても隠しきれるものではない
  • なら、いっそのことダメなところを隠さずに生きていったほうが楽なはずだ
  • でもなぜそれができないのか

 

  • 他人に対する不信?
  • 誰かから○○と思われやしないだろうか・・・
  • そう思われたら、自分への評価が下がらないだろうか・・・
  • これだ
  • 他人に対する気持ちの問題ではない
  • 自分のことを悪く思われることに対する恐怖だ
  • でも、もう一度繰り返すと、他人がどのように考えるのかは分からない
  • 悪く思うかもしれないし、思わないかもしれない
  • そしてネガティブに思うかもしれない、という気持ちが強くなり、耐えられなくなる

 

  • なぜネガティブに思うのだろうか
  • そう思ったほうが、安全だから?
  • 悪い想定をしたほうが、安全に暮らせるから?
  • そんなことは無いはず
  • 悪い想定をしても、安全かどうかは全く関係ない
  • というか、未来のことは分からない

 

  • だから必要なことは、悪い予想をしないこと
  • もっと言うと、予想をしないこと
  • 予想をしない生き方というのは、未来のことなど考えないという生き方だ
  • 過去のことも未来のことも考えない
  • 今のことしか考えない
  • 今しか考えなかったら、恥ずかしいも恥ずかしくないも無い